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2016.02.13 Saturday

現像タンクの変遷

JUGEMテーマ:写真
フィルム現像は最初デイタンクと言って暗室でタンクにフィルムを巻いて
タンクの蓋をして明るい所で現像するタイプを使っていた。フィルムは35mm。

同じ時分にフィルムのパトローネ毎現像するのもあり色々試してみた。
長い36枚撮りのはフィルムの間に薬品が入らず失敗の連続。

100円で売っていた短いフィルムが意外に良かった。
中身は某社のデッドストックらしかったが最近まで素性は判らず。

最初のフィルム現像はキングのベルト式で中学生まで使っていた。
記憶と記録では小学校の低学年位からフィルムの現像(当然モノクロ)を

していた。
プリントまでは出来ずに近所の写真屋さんに入り浸って暗室の勉強。

体が虚弱だったので中学は帰宅部。
高校に入り夏休み前に中学の後輩から勧められて写真映画部に。

高校ではキングのノーベルト式が主流。
やって見ると意外に上手く行くようだ。

高校2年の時に先輩から4X5のビューカメラが来た。
この時は皿現像で現像していたが、部で使っていた引き伸ばし機はラッキーの90M。

ネガが最大で6センチX9センチまでの大きさまでしか伸ばせない。
4X5は4インチ(10.16センチX12.7センチ)なので無理。

それでも各運動部の卒業アルバムの撮影は無謀にも4X5で写した。
高校を卒業し何とか産能短大に入学した。

その時に父親は、「これから実業の道を進むのだから写真はしばらく遠ざかれ」
との事。しかし産能短大の創立者はあの上野彦馬の血筋だった。

そんなこんなでどっぷり漬かっていた写真から足は遠ざかり。
兄の影響で音楽の方に軌道修正。

卒業後はやはり商業は丁稚だろうと勝手に考えて先輩の伝手で京都に修行に。
余りの辛さに約束の3年も持たずに帰って来た。

家業を継ぐ準備で一平卒からの入門だ。
京都の辛さから考えたら何と恵まれた環境だろう。

それでも修業時代の苦行から身体を壊し丸2年間仕事が出来ない時期が。
紆余曲折を経て何とか年を重ねて気が付いたら50目前。

そんな時に一冊の本と日本橋の丸善で出会う。
「旅するカメラ」これがいけなかったのかは後世が証明するであろう。


 
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