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2011.01.23 Sunday

明大中野 写真映画部

JUGEMテーマ:写真
Fuji 26mm

我が明大中野 写真映画部のモットーは「礼儀と規律、技術の向上」を旗印にしている。
写真映画部と名の付く写真系の部は他に鹿児島実業高校、大学では防衛大学校写真映画研究部
がある位でどういう経緯で写真映画部となったのかは定かで無い。

確かに映画の研究や製作を行っていて30分〜40分位のドラマ仕立てのヤツを作っていた。
当時は同時録音が出来ないのでオープンリールのテープレコーダーにパルスを打ち込む
不完全なシンクロで後から音声を吹き込む方法でやっていた。

部室も今の4号館の所にあった旧校舎の1Fの1教室分のスペース。
部室の他に第一暗室は引き伸ばし機6台の陣容。

機材はFuji B型が2台、ラッキー90Mが1台、同60Mが2台、無名のが1台の計6台。
隣の第二暗室は後処理とフィルム現像のための部屋、フィルム乾燥器と印画紙乾燥器があった。

印画紙乾燥器は全紙がフェロ掛け出来る巨大なドラムロール式、印画紙水洗機は半切まで入る
水圧で回る大きな物だった。

部員も中学と高校で50人から60人位いた時期もあり、常に部室は満員の状態。
印画紙現像液のD-72やフィルム現像液のD-76は当時は完成処方品が高かったので
両皿天秤で計量のあとバケツで溶解して5リットルの遮光瓶に入れていた。

とにかく毎日大量な薬品を作っていた記憶がある。
週1回のランニングを哲学堂まで欠かさずに行っていた。

昨日の話では当時ワンゲルもランニングしていて権平さんもその中にいたそうだ。
その場にいた先輩や後輩たちが37年位して8×10の仲間の中にいる事自体が
奇跡だと思う。

もっと周りに写真映画部の仲間や同窓生が居るかも知れない。
権平さんのクラスメートに1年上で写真映画部の部長だった水野さんがいた。

昨日電話で伺ってその場にいた兼本さんと驚愕の事実を知り愕然とした。
8×10の仲間に居た事もビックリである。

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