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2020.03.01 Sunday

マイコプラズマ肺炎闘病記

JUGEMテーマ:健康

1978年の11月末どうも風邪っぽくだるい。

体温計で測ると36.9度。

 

いつももう少し低いので体調が良く無いのかもと思う。

日曜日だったのでそのまま仕事に。

 

その日は早く休んだ。

翌日仕事に行く前に近所の掛り付け医に行く。

 

体温計で測定すると37.2度、喉を見せて呼吸音を聞いてもらう。

風邪のひき始めではとの事で頓服をもらい仕事は休みにして休む事に。

 

翌日も熱が下がらず仕事は休みに。

頓服のせいかよく眠れる。

 

昼間も夜も眠り続ける。

学校を出て修行に行っていた疲れなのだと思い込む。

 

翌日もう一度医院に行く。

熱は37.3度あった。

 

一通りの診察の後レントゲンと撮る。

しばらくして何時もならレントゲンの画像をフィルムで見ながら説明するのだが

 

今回は無かった。薬を変える事に。

翌日も37.3度。

 

もう12月になっていた。

相変わらず良く眠れる。

 

もう1週間仕事出来ず。

毎週通院するのだが咳が出て来た。

 

レントゲンを度に撮影するのだが画像診断は無い。

毎週薬が変わるのだが一向に改善しない。

 

既に12月の月中を過ぎていた。

掛り付け医は母の父の代からのご夫婦の医師。

 

疑うことは無いので信頼し切っていた。

12月も20日過ぎて熱は下がらずクリスマス前くらいには38度を超えて来た。

 

咳は相変わらず激しくなり咳き込むようになる。

体重もかなり落ちて明らかに痩せて来た。

 

25日を過ぎた辺りで母の友人の勤務医のご主人に相談を電話でしていたようだ

もう年末なので大きな病院で初診は受けないだろうとの事。

 

この際救急車で設備の整った病院へ連れて行ってもらったらとのアドバイス。

父母共に躊躇っていたが翌日になり119番へ電話。

 

救急隊員が来て今までの経緯等を聞いていたが本人は体温計の水銀柱が42度を振り切り終端。

意識も混濁状態で病院へ運ばれた。

 

気が付いたのは翌年1月10日位。

脳症の疑いもあり髄液を採取されたようだが意識は無く当然痛みも感じない。

 

それから5日くらいしてようやくベッドから起きられるように。

家に電話をしようと思ったが、自分の名前は看護婦さんに言えるのだが電話番号が判らない。

 

住所も正確に言えない状態。

看護婦さんに自分の家の電話番号を教えてもらい通話。

 

母に電話してみたが本人とは思っていないような素振り。

意識不明からの生還なのを信じないようだ。

 

その後父母が来てようやく甦った事を理解してもらえた。

入院時レントゲンを撮ったら肺が明らかに問題があったようだった。

 

医院でのレントゲン撮影は何だったのか?

画像診断も無かった。

 

レントゲンが故障していたのかも知れない。

今なら医療裁判になるだろう。

 

もし死んでいたらと思うようになりましたが、退院をしても倦怠感は抜けず

直ぐに熱が出てしまう体質に。

 

仕事は無期限の休養。

その後3年は元に戻れず。

 

最初の1年は青白い顔で呼吸器の専門医を訪ねていた。

異形肺炎ともマイコプラズマ肺炎でこれほど酷い症例は今まで見たことも聞いたことも無い

 

との診断で休養しなさいとの事。

ならばと見聞を広めるのも良いだろうし、知識を栄養にするのも良いだろう。

 

生まれ変わったのだから第二の人生のスタートと思うように。

同級生もチラホラ世帯を持つのも居て式に行ったりがそろそろ始まり出した。

 

後輩から話も来ていたが病み上がりには無理との苦い返事しか出来なかった。

(つづく)

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